翻訳裏話ーーロバート・ラドラムの思い出 #3
それからは大変だった。僕が空手をやっていることを伝えると、自分は陸軍で格闘術を教えていたと言い、二人でいろいろと実践する破目になったのだ。天麩羅屋の店内でのことだから、互いに手を抜くところは抜いたのだろうが、背がだいたい同じくらいの我々二人がまるで喧嘩しているような大騒ぎになった。
その後は帝國ホテルの彼らの部屋へ行った。果たして最上級の部屋かどうかは忘れたが、とにかく大きかった。そこでまた酒が運ばれてきて、ふたたびドタバタが始まった。編集員や著作権事務所の代表などは、奥さんとダンスを踊っている。何とも華やかでうるさい半日だった。
二人はこれから仕事の下見に香港へ行くという。見ると、部屋の片隅の机の上に、手書きの原稿用紙が乗っているではないか。すでに何枚か書き上げた跡が見える。
さすがにラドラムだ、と僕は感じ入った。僕はベストセラー物を数冊持っているが、何と言っても群を抜いているのがラドラムの作品だ。僕は彼と気が合ったと思っている。彼の気持ちはわからないが、現在天国にいる彼に、もう一度会って御礼を言いたいと思っている日本人がいることを誰か彼に伝えてもらえないだろうか。
蛇足ながらもう一言。今回、二十年ぶりで僕は翻訳を再開することにしたが、新潮社への連絡を取ってくれたのが、三室洋子さんという当時の編集員であり、ラドラム夫妻と会った方である。彼女の穏かで約束を守る性格を僕は忘れない。感謝、感謝である。