人生について– category –
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武道家との出会い ②
武道家との出会い ② それからもう一人、札幌で古武道を教えているM氏がいます。彼曰く、古武道の最強は宝蔵院流の槍術なのだそうです。その槍術に相対する場合、勝ちを得る唯一の方法は「紅(くれない)一文字」と呼ばれる“秘術”だという。つまり、少しわかりにくいかもしれませんが、自分の胸に槍の穂先で一文字の傷を負うほどに見切らなければ、勝てないということなのです。 -
武道家との出会い ①
武道家との出会い ① 僕には武道家の知人が沢山います。当然ながら、尊敬に値する人もいれば、そうでもない人も。たとえば、かつて鎌倉で気功を教えていたI君です。一度酒の席で、彼にちょっと遊んでみましょうと誘われたことがあります。何をしたかというと、我々は5センチぐらい離れて正座して相対し、I君は好きに殴ってくれと僕に言って膝の上で指を組み、顔を俯けて目をつぶってしまったのです。 -
着物と日本人 ②
着物と日本人 ② それはともかく、日本人は体格が良くなったせいか、洋服がすっかり板につきましたね。僕はそう思っています。やはり着物が隠してくれていた体系のマイナス点が、かなり改善されたように思います。足の短さ、胸の薄さ、腰骨の線の細さ、等々。先日テレビで見た外国人のダンサーたちは、足が長過ぎて逆におかしく見えるのです。僕がそれを言ったら、外国の友人は不機嫌そうな顔をしていましたがね。 -
着物と日本人 ①
着物と日本人 ① 今回は話題を変えて、「着物」にしましょう。皆さんは毎日、何を着て生活をしていますか。僕は剣道をするとき以外は、いわゆる西洋風の衣料を普段着としています。しかし女性の皆さんは着物を持っていらっしゃることでしょう。僕の家内も数着の着物を持っています。 -
僕が翻訳家になるまで ②
僕が翻訳家になるまで ② さてその“翻訳”のほうですが、僕にはどうしても、翻訳家であることの“罪悪感”みたいなものが付いて離れないのです。どうしてそうなのか、理由ははっきりわかりませんが、僕にはやはり第二次大戦中の生まれであることや、十代の若さでアメリカ生活を一年送ったことなどが原因となっている気がしてなりません。 -
僕が翻訳家になるまで ①
僕が翻訳家になるまで 先述したように、僕が翻訳家になった理由はかなりいかがわしいものでした。とにかく剣道家になりたくて、しかしそんなに上手でもない僕にとっては、収入の道を確保することが重要だったわけです。それで翻訳家と剣道家の双方をめざす生活が始まったわけですが、結果的にはいくつかの、今思えば天の助けとしか思えない理由によって剣道を諦め、翻訳業への道を進むことになったのです。 -
偏食のある人は公平か? ②
偏食のある人は公平か? ② てな具合で、他にも嫌いなものは沢山あります。たとえばタチです。あのぐにゃぐにゃしたものを見ると、ヘドが出そうになります。さらに言えば、魚類も好きではありません。とにかく食べる際に口の中で小骨を抜き取る作業が嫌なのです。とは言え、刺身や寿司は大好きでよく食べますし、天麩羅も超大好きです。つまりは、魚の小骨をどうするかが大問題なわけです。 -
偏食のある人は公平か? ①
偏食のある人は公平か? ① さて、今回は旅に付き物の「料理」についてです。僕は食べるのは大好きなのですが、何を食べるかにはさほど関心がりません。その時、その場で出されたものを有り難くいただきます。そう言うと、僕は何でも食べる大食漢のように思う人もいるかもしれませんが、実はそうではありません。嫌いなものが沢山あるのです。 -
僕の北海道旅 ②
僕の北海道旅 ② それでも、僕は一度として事故を起こしたことはありません。これはちょっと自慢してもいいでしょう。一緒に旅に出た仲間は、何回か必ず事故を起こしています。僕も危機一髪の瞬間は何度か経験しています。夜道でバイクの後輪がすべってひっくり返りそうになったとか、トラックを追い越した先で急に道が細くなり、あやうく潰されそうになったとか。しかし、事故になったことは一度もないのです。 -
僕の北海道旅 ①
僕の北海道旅 ① 今日は「北海道の旅」について語ってみたいと思います。ただし、電車や汽車の旅行ではありません。僕は30年近く北海道にいて、電車や汽車に乗ったのは電車が一回だけ、それも札幌から当別に戻る30分くらいのものでした。したがって、バイクか車での旅になります。