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鈴木邦男さんのこと

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鈴木邦男さんのこと

さて、鈴木邦男氏の死去についてです。僕は半ば予期していたため、特に驚いたわけではありませんが、それでも深い喪失の念に捕らわれています。彼は新右翼と謳われ、一水会を創設しました。僕も何度かオフィスにお邪魔していますが、ドアを開けると真ん前に、三島由紀夫と森田必勝の「楯の会」の礼服姿の大写真が飾られているのです。

僕もまあ、「右翼」ではありますが、それはrightの意味通りで、あくまでも個人的なものであり、団体で動きたいと思ったことがありません。しかも僕は親米派です。その点を、最初に北海道にお招きするときに問い質したところ、彼はあっけらかんと笑い飛ばし、そんなことはどっちでもいいのですと仰ったのです。

さてそれから、忙しい日々が続きました。彼は何十回と北海道を訪れ、時計台で2時間ばかりの講演をし、一泊してまた東京へ引き上げるのです。主催は柏艪舎ですから、彼の身の安全は何としても我々が守らねばなりません。ですからその日は一日中、気が抜けませんでした。

札幌時計台ホールで講演する、鈴木邦男氏(撮影:小森学氏)

彼には日本中に信奉者がいて、講演のたびに日本全国から何人かの人が楽しそうに集まるのです。彼らを見ると安心するのですが、しかし僕は油断は禁物だと自分に言い聞かせてきました。彼の“敵”は既成の右翼団体でした。彼が東京で右翼デモに巻き込まれて殴られた、というような写真が出るたびに緊張し、僕は札幌ではそういう真似はさせないと一人息巻いていたものでした。

彼が何よりも立派だと僕が思ったのは、各著作物の最後に自分の住所をきちんと書いたことです。これはやはり立派な決意だと思いますね。現在は誰もが住所を明記することを嫌います。ある女性作家に作品依頼の手紙を送った所、彼女から電話があり、どうして住所を知ったのかと執拗に尋ねられ、不愉快な思いをしたことがあります。しかし、彼はそうするのが当然でしょう、と言うばかりでした。

弊社から彼の著作を何冊も出しました。彼には申し訳ないのですが、思ったほどには売れませんでした。やはり地方の小出版社では力不足だったのでしよう。それでも彼は文句も言わずにせっせと書いてくれました。彼のような「右翼」の人間は、僕が知る限り、あまり目にしたことはありません。

彼を師と仰いだ人たちの中から、第二、第三の鈴木邦男が生まれて来ることを願っています。奢らず、昂らず、普通の人の好いオジサンの顔をしていた彼が尊ばれて初めて、日本の民主主義も本格的な力を持つことになるのでしょう。それを心から楽しみにしたいと思います。長い間、日本のために、世界のために有難うございました。どうぞお健やかにお過ごしください。

柏艪舎から刊行した鈴木邦男氏の著作

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山本光伸プロフィール

 札幌で出版社・柏艪舎と文芸翻訳家養成校・インターカレッジ札幌を経営しています。
 80歳で小説家デビューを機にブログをはじめました。
 ロバート・ラドラム『暗殺者』、アルフレッド・ランシング『エンデュアランス号漂流』(新潮社)、ボブ・グリーン『デューティ』(光文社)他、訳書は200冊以上。

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