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人を殺すぐらいなら、自分が死ぬ? ①

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人を殺すぐらいなら、自分が死ぬ? ①

 先日、朝日新聞朝刊の読者欄に、次のような投書が載っていた。小学二年生の息子が、「誰かを殺せって言われても僕にはできないから、それなら自分が死ぬ」と言っていた。そんな国民の声を聞く政治家に国を任せたい、云々。

 この手の文章を書くほうの、あるいは口にするほうの精神的幼稚さは仕方がないとしても、これを麗々しく読書欄に登場させる朝日新聞側の迎合主義がたまらなくいやらしい。 

 どんなにぼんくらな記者だってわかっているだろう、法と感情を混同させてはいけないということぐらいは。人を殺すぐらいなら、自分が死ぬ。すばらしい決意ではないか。私だってそう思う。しかし、私の場合は、家族であれ友人であれ、彼らが危険にさらされた場合は命がけで戦うだろうし、相手を殺してしまうことだってあり得るだろう。

 前述の投書の母親が子供に言うべきは、「そうだね、坊は偉い。人間は自分が信じることのために死ぬこともあるんだよ」でしかない。

 戦争が始まったら逃げる、という人がいる。それがどれだけ実効性のあることかわからないが、私はもちろん、良心的戦争拒否の立場を認めている。ただし、法治国家に生きている以上、そのせいでたとえ罰せられることになろうとも甘んじて受け入れるという覚悟が必要になるだろう。

 自由のない改正憲法より、自由のある押し付け憲法のほうがましだという人がいる。このような大向こう受けの議論にはなんの意味もない。私が心配しているのは、全く自由のない、あるとすれば国家にとって都合のいい自由だけという外国に、組み入れられてしまうのではないかということだ。

 それは杞憂にすぎないかもしれない。だが、現在のアジア情勢を見てその危険性がないとするならば、その根拠をしっかりと示してもらいたい。諸外国の善意に期待して自衛権すら認めようとしない国家など、子供の冗談にもならないだろう。そんな国家や憲法をもし手放しで持ち上げる国や人間がいるとしたら、その底意をきちんと見極めなければならない。他人事であればなんだって美辞麗句は言えるのだ。(②へつづく)

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山本光伸プロフィール

 札幌で出版社・柏艪舎と文芸翻訳家養成校・インターカレッジ札幌を経営しています。
 80歳で小説家デビューを機にブログをはじめました。
 ロバート・ラドラム『暗殺者』、アルフレッド・ランシング『エンデュアランス号漂流』(新潮社)、ボブ・グリーン『デューティ』(光文社)他、訳書は200冊以上。

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