山本光伸 翻訳教室 ①
僕はこれまでに、柏艪舎から翻訳に関する本を2冊出しています。『誤訳も芸のうち』と『R・チャンドラーの「長いお別れ」をいかに楽しむか』です。一作目は、文藝翻訳は一生の仕事足りうるか、という副題が付き、二作目は、清水俊二、村上春樹、そして山本光伸の訳文を併記し、何所がどう良くて何所がどう悪いのかを列記しています。また翻訳と言う作業のコツみたいなものがわかってもらえるかもしれないとも書いてあります。
これを読んでいただけば、僕の言いたいことはお分かりいただけると思うのですが、今日は一つだけ、お教えしたいことがあります。この問題は、これまでに二千人くらいに試してきて、正解者はゼロと言う格別な“成績”が残っています!
さて、テキストは遠藤周作の『沈黙』です。それにもう一冊、イェズス会の神父で、上智大学名誉教授であり、名翻訳家の誉れ高いWilliam Johnston作の『Silence 』が登場します。これは言うまでもなく、原作が遠藤周作で、翻訳作品がJohnstonということです。では、『沈黙』の中の一節を紹介しましょう。
「お前さまが転ばねばな、百姓どもが穴に吊られもうす」
相手が何を言っているのか司祭にはよくわからなかった。
「深き穴の中に五体逆さにされて百姓どもは幾日も……」
「穴に吊る?」
「さよう。パードレ殿が転ばねばな」
司祭は黙った。彼は相手の相手の言葉か脅しか本当かをさぐるため、じっと暗がりの中で眼を光らせた。
遠藤周作『沈黙』より
これに対して、Johnstonの翻訳、『Silence』は次のようになります。
“If you don’t apostatize,”he said, “the peasants will be suspended in the pit. ”
The priest could not quite understand the meaning of what he was saying.
“Yes, five peasants will be suspended upside down in the pit for several days. ”
“Suspended in the pit?”
“Yes, father, unless you apostatize. ”
The priest was silent. Were these words serious? or were they a threat? He peered into the darkness, his eyes gleaming.
Shusaku Endo/W.Johnston “Silence”
それでは、両者に違いがあるかどうか確認してみましょう。そのために一番良い方法は、訳文の英文を日本語に直してみることです。では一時間を差し上げましょう。よろしいですか?
(次回につづく)

