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文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ④
翻訳家になったころ そんな僕にとって、翻訳業とは魅力的な職業だったのです。翻訳業といっても、僕がやるのは文芸翻訳だけでした。 僕はユニ・エージェンシーという翻訳事務所に登録し、翻訳家になりました。 -
文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ③
小説と剣道、そして翻訳家に 僕は昔から剣道をやっており、中学一年から昔風の野蛮な剣道に鍛えられてかなり強かったのです。 大学卒業の前年に、僕は剣道で身を立てようと考えました。 -
文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ②
年を取るということと、80歳を迎えるということは同義です。僕の場合、3年前に作家の丸山健二氏と揉めて―― -
文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ①
逗子から北海道へ さて、皆さん、今日は。 僕の名前は山本光伸といいます。以後たびたびこのような場でお目にかかると思いますが、どうぞよろしく。僕は今年で80歳。52歳で神奈川県の逗子から北海道に居を移しました
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山本光伸作品集4『諾さん』刊行のお知らせ
山本光伸作品集4『諾さん』刊行のお知らせ さて、今回はどんな本を紹介しましょうか。皆さんのご意見を参考にできたらとも思います。自分が書き上げた書籍はどんなものだろうかと思い、今回初めて整理したわけですが、まず第一にびっくりしたのはその分量でした。よくぞここまでという思いがする一方で、僕はこの年になってようやく本当の仕事に巡り合えたのだという気もしています。どういう結果になるか、今から大変に楽しみです。 -
太宰治を胸に秘めて #3
太宰治を胸に秘めて #3 小泊では、ちょうど運動会が行われていた。そこで太宰はたけと三十年ぶりに再会する。その名場面をちょっとここで、長いけれども書いてみよう。 -
太宰治を胸に秘めて #2
太宰治を胸に秘めて #2 『人間失格』や『斜陽』によって有名になったかに思われる太宰にとっては、しかし、それもまた彼自身が時代に刻んだ己の姿なのだと思われるのだ。あー、僕は彼に会うことはできなかった。僕は大学が三鷹だけに、彼が自殺した用水路の辺りをしょっちゅう歩いていたものだ。その度に、僕は「太宰さん」と呼びかける。彼が飛び込んだと思われる地点に何時間も佇んでいる。 -
太宰治を胸に秘めて #1
太宰治を胸に秘めて #1 何度も書いているが、僕が一番好きな作家は太宰治である。読み始めてから70年ばかりが経っているので、単なる“昔馴染み”なのかもしれないが、それでも彼の作品は全て、何度となく読み終え、彼について書かれたさまざまな評論や思い出などにもほとんど目を通してきただけに、この思いには確信に似た想いがある。 -
小林龍一さんの個展「FAMILIA」を観て ②
小林龍一さんの個展「FAMILIA」を観て ② 僕は現在、札幌で出版社を運営している。すでに20年を経ているのだが、今は芥川賞作家、丸山健二氏の作品集の出版に失敗し、出版社としてどん底の数年を過ごしている。もう潰れたかと思っている友人・知人も多いことだろう。 -
小林龍一さんの個展「FAMILIA」を観て ①
小林龍一さんの個展「FAMILIA」を観て ① 先日、小林龍一さんの個展を観に行った。場所は札幌市中央区南1条西6丁目にある、The JOHNSON STOREの中である。かつて東急ハンズがあった所だ。 -
山本光伸作品集3『手紙』刊行のお知らせ!
山本光伸作品集3『手紙』刊行のお知らせ! さて、次はどんな本をご紹介しましょうか。長い作品、短い作品といろいろあるのですが、そうですね、今回は僕の唯一のミステリー作品を紹介しましょう。 -
『老人と海』について
『老人と海』について 今年に入って、E・ヘミングウェイの不朽の傑作、『老人と海』(柏艪舎より2013年10月刊・中山善之訳)を三度読む機会に恵まれた。本書が、ノーベル文学賞作家によるピュリツァー賞受賞作品ということはいうまでもないだろう。 -
自分の小説を手にして ③
自分の小説を手にして ③ 僕は柏艪舎の社員たちと相談し、思い切って電子書籍で発表することにしました。皆さん、どうぞ読んでみて下さい。すでに2冊が発表されており、紙の本でも読めるようになりました!『乾杯!』と『光る道』です。80歳からの人生がどうなるかはわかりません。スタートが遅すぎるのかもしれませんね。しかし僕は頑張るつもりです。人生最後の“賭け”に僕は今嬉しくてなりません。皆さんと共に、これを喜びに変えて行きたいと思っています。 -
自分の小説を手にして ②
自分の小説を手にして ② そうして一年ばかりが経ったとき、友人の父親に路上で掴まりました。どういうわけか、彼は僕の秘密のはずの“計画”を知っていたのです。そして、本気なのか、と僕に訊いたのです。僕も仕方なく、本気ですと答えました。すると彼は恐ろしく真面目な顔をして、わかった、受ける気なら受けてみろ、そしてもし君が受かったら、自分は逗子の町中を逆立ちして歩いてやる、とおっしゃったのです!
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翻訳家になるには? #4
翻訳家になるには? #4 ただ、僕は一つだけ申し上げたいことがあります。それは、文藝翻訳家を目指す方は何としても、日本語の小説――それも、現在巷に溢れているような意味不明のブックスではなく――を浴びるほどに読んでもらいたいということです。僕が一番腹の立つのが、いわゆる英文科の生徒です。もちろんこれには例外がいくらでもあるでしょうが、とにかく、英語が好きだから翻訳をやってみたい、と言うおかしな連中です。僕には絶対に理解できませんね、巷に溢れる廉価本をチョコチョコ読んで、それでアタシも翻訳家になりたいなんて“ほざく”連中が。 -
翻訳家になるには? #3
翻訳家になるには? #3 しかしそんな僕が北海道へ来て、出版社を興し、文藝翻訳学校を始めて若い人々を指導しているのですから、これはもう奇跡としか呼べないではありませんか。僕は英語の書物を読んだことはほとんどありません。仕事でなら、それこそ何千冊と読んでいますが、自分が好きで読むものは日本語の小説と決まっているのです。つまり、太宰治、三島由紀夫、丸山健二らの作品です。彼らの作品はそれこそ繰り返し、繰り返し、滅多やたらと読んでいます。しかし、翻訳家になるにはどうしたらいいか? 僕は正直なところ、途方に暮れるしかありませんね。 -
翻訳家になるには? #2
翻訳家になるには? #2 一本立ちする寸前に『ゴッドファーザー』を翻訳し、ベストセラー物を数本持つほどの“売れっ子翻訳家”になりました。これはもう、まったく僕の力ではなく、他のさまざまの要因からそうなっただけなのです。例えば『ゴッドファーザー』などは、訳者の二十人ほどが事務所に集められ、誰かこれをやってくれと頼まれたのですが、誰も手を挙げません。それはそうでしょう、それまでの日本の翻訳界に於いて、マフィア物が売れたことは一度としてなかったのですから。これだったらサボれるな、と思って僕は手を挙げました -
翻訳家になるには? #1
翻訳家になるには? #1 さて、僕はよく文藝翻訳について質問されます。翻訳家になりたいけどどうすればいいか、とか。しかし僕はその度に少し緊張するのです。それは何故かと言うと、僕の文藝翻訳家デビューの経緯に問題があるからです。 -
翻訳裏話ーーロバート・ラドラムの思い出 #3
翻訳裏話ーーロバート・ラドラムの思い出 #3 それからは大変だった。僕が空手をやっていることを伝えると、自分は陸軍で格闘術を教えていたと言い、二人でいろいろと実践する破目になったのだ。天麩羅屋の店内でのことだから、互いに手を抜くところは抜いたのだろうが、背がだいたい同じくらいの我々二人がまるで喧嘩しているような大騒ぎになった。 -
翻訳裏話ーーロバート・ラドラムの思い出 #2
翻訳裏話ーーロバート・ラドラムの思い出 #2 さて当日、こちらは新潮社の女性編集員と、著作権事務所タトル・エージェンシーの代表、そして僕の三人はラドラム夫妻を出迎えた。ミセス・ラドラムは女優をしていらしたとかで美しい女性だった。そして肝心のラドラム氏は……それがなんとも冴えない人なのである。青のワイシャツ姿にズボン、どこから見てもそこいらの野暮親父と同じなのだ。こちらがテレビなどで見た颯爽たる中年男性はどこに行ってしまったのか? -
翻訳裏話ーーロバート・ラドラムの思い出 #1
翻訳裏話ーーロバート・ラドラムの思い出 #1 今回はひとつ、何十年も前にロバート・ラドラム氏とお会いした時の話を書いてみたい。 もう三十年以上も前の話しだし、かなりうろ覚えのところもあるが、我が翻訳家人生では実に楽しい思い出になっている。 -
僕の翻訳流儀―オリジナルを書くように訳す #2
僕の翻訳流儀―オリジナルを書くように訳す #2 そして今、オリジナル作品についても同じことが言えるような気がしている。最初は、翻訳と同じように、最初から最後までの成り行きを頭に入れていた。しかし今は、一読者になって作品を書いているのだ。いざコンピューターの前に座っても、何を書くかはわからない。いや、そうではないな。主人公の一人や二人については詳細なデータを頭に入れている。ただ彼らがどう動いて何をするかが決まっていないのだ。 -
僕の翻訳流儀―オリジナルを書くように訳す #1
僕の翻訳流儀―オリジナルを書くように訳す #1 先日、ある質問を受けた。一冊の本を訳し始めてから終えるまでのスケジューリングについて教えてくれ、と。その時は、僕には何も変わったことはないから、とお断りしたのだが、また別の方から同じような質問を受け、僕も恥を晒す決心をしたわけだ。 -
翻訳家の事件簿-最終章 書き足し事件 #2
翻訳家の事件簿-最終章 書き足し事件 #2 これは、僕が意図したように、あっさりと引き下がれる問題なのか、ということです。僕は構わないにしても、編集者はどうなのか。原稿をきちんと検索していないことがはつきりしているではありませんか。彼とはもう何十年もの付き合いで、互いの手の内はわかっていると言うつもりだったのでしょう。しかし、担当者が渡された原稿を見ないとは?
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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑦
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑦ 先日もある集まりで、90代の婦人が遺産分けの話を持ち出しました。息子が3人いて、いろいろ事情があって、配分に差をつけたいらしいのです。僕は聞いているうちにひどく不愉快になりました。まるで海賊か山賊たちの戦利品の山分けのようではありませんか。僕かそんなにお困りなら、ユニセフにでも寄付されたらいかがでしよう、と冗談交じりに言ったところ、その老婦人は僕をひと睨みし、悠然と話を進めたのです。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑥
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑥ さらに言えば、こんなこともありました。東京の女性(女房の友人です)から突然、札幌の僕の所へ電話が入り、100万を貸して欲しいというのです。女房や息子たちはまだ逗子にいました。そこで僕は出版社から100 万を借り、彼女に振り込みました。問題は本来それだけで終わるのですが、三年ほどして彼女の話が話題になり、僕はうっかりと、そう言えば彼女にお金を貸したっけ、と話してしまったのです。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤ お金も同じです。そこに価値を置かないのだから、貸したお金は上げた者に他ならない。僕はこれまでに3000万近くのお金を貸していますが、こちらがどんなに困っても取り戻したいと思ったことは一度もありません。断っておきますが、だから僕は偉いとかそういう問題ではさらさらないのです。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ④
三島由紀夫の嘆きについて考える ④ 三島由紀夫が言ったように、このままでは「東洋の一角に、何の取り柄もない、ただ金儲けが上手な国家」の残ることになるのかも知れません。僕はもう本当にうんざりしています。物質は心の影に過ぎない。そんなことは自明の理ではないでしょうか。そんな影に過ぎないものに大切な人生を捧げて、悔いはないのでしょうか。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ③
三島由紀夫の嘆きについて考える ③ 例えば、三島由紀夫が「日本人はみなマーチャントになってしまった」と嘆けば、僕は絶対にマーチャントにはなるまいと思うし、丸山健二が「人はすべからく個と孤に生きるべし」と言えば、その通りに生きたいと思うのです。それもただ何となく思うのではなく、ひたすら実行しようとするのだから大変です。そのおかげで、家族や友人たちに多大の迷惑をかけてしまいましたが、それはまあ、仕方のないことだったように思います。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ②
三島由紀夫の嘆きについて考える ② 僕はいつも、他人のゴミ出しの様子を窺がっているような人間が嫌いだと言っていますが、この手の類いの、小さな正義感を振り回して悦に入っている人間はまず、小説を読んでいませんね。あなた方の周りにもいっぱいいるでしょう。立派なことを言いながら、妙に一つのことにこだわる精神バランスのおかしな連中が。もしこういう人達が世の中の大半を占めているとしたら? -
三島由紀夫の嘆きについて考える ①
三島由紀夫の嘆きについて考える ① 僕はいつでしたか、小説を読まない人間は信用できない、と言いましたが、その思いは今日もなおいささかも変わっておりません。ただしこれには例外があります。僕の友人で、町の寿司屋のご主人が居ます。僕と同年配で、よく二人で飲みに出かけたりします。そこで僕が思うのは、彼らは人生から読書以上の物を学んでいるということです。
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ラグビーと剣道 #1
ラグビーと剣道 #1 さて、もう少し楽しい話にしましょうか。どうもここ十年ばかりは、このような苦しい話ばかりで我ながら悔しく思っているのです。さて現在、ラグビーのワールドカップがフランスで行われています。ラグビーは僕の一番好きなスポーツなので、もちろんテレビに噛り付いています。 -
太宰治を胸に秘めて #3
太宰治を胸に秘めて #3 小泊では、ちょうど運動会が行われていた。そこで太宰はたけと三十年ぶりに再会する。その名場面をちょっとここで、長いけれども書いてみよう。 -
太宰治を胸に秘めて #2
太宰治を胸に秘めて #2 『人間失格』や『斜陽』によって有名になったかに思われる太宰にとっては、しかし、それもまた彼自身が時代に刻んだ己の姿なのだと思われるのだ。あー、僕は彼に会うことはできなかった。僕は大学が三鷹だけに、彼が自殺した用水路の辺りをしょっちゅう歩いていたものだ。その度に、僕は「太宰さん」と呼びかける。彼が飛び込んだと思われる地点に何時間も佇んでいる。 -
太宰治を胸に秘めて #1
太宰治を胸に秘めて #1 何度も書いているが、僕が一番好きな作家は太宰治である。読み始めてから70年ばかりが経っているので、単なる“昔馴染み”なのかもしれないが、それでも彼の作品は全て、何度となく読み終え、彼について書かれたさまざまな評論や思い出などにもほとんど目を通してきただけに、この思いには確信に似た想いがある。 -
ダンスパーティー AFS アメリカ留学の思い出 #2
ダンスパーティー AFS アメリカ留学の思い出 #2 十代の若者は世界のどこでも、誰かに自分の意思を伝えたいと必死になっているものだろう。まあ、もちろん例外もあるだろうが、それはこの際、お引き取りを願うとしよう。そうしなければ話は前に進まない。 -
ダンスパーティー AFS アメリカ留学の思い出 #1
ダンスパーティー AFS アメリカ留学の思い出 #1 アメリカの高校で体験したことの一つに、女性が誘うダンスパーティがあった。この件に触れるのは六十年以上が経った今が初めてなのだからびっくりする。その時はこちらもちゃんと誘われたので文句もなく、忘れてしまっていたのだ。 -
鎌倉学園と剣道 #2
鎌倉学園と剣道 #2 僕はどういうわけか喜んだものの、そんなはずじゃなかったと文句を言う奴も多かった。たぶん高校側としては、当時鎌倉では有名だった“不良学校”のイメージを叩き壊そうとしたのだろう。またこの先生ほどその役職にピッタリの方は居なかったのではないだろうか。とにかく剣道がめちゃくちゃなのだ。めちゃくちゃと言っても、出鱈目というわけではなく、僕たちの常識では測り切れないほどめちゃくちゃだった。 -
鎌倉学園と剣道 #1
鎌倉学園と剣道 #1 ちょっと話題を変えて、中学時代の話を。神奈川県の逗子に実家があり、僕は53歳までそこで暮らしていたのだ。中学・高校と鎌倉学園に通った。高校三年の夏にアメリカへ一年間留学したので、丸六年間鎌倉学園にいたわけではないが、僕の中では、学園を卒業したと思っている。後輩には桑田佳祐がいて、誰もが、彼と同じ学校だぜと自慢するものらしい。 -
宗教と僕 #3
宗教と僕 #3 新興宗教に関して思うことだが、日本人はだいたい、信者と無関心派の二種類に大別されるようだ。僕はしかし、その宗教に関心を持ちながらも、無信者でいる人が必要なのではないかと思うのだ。 -
宗教と僕 #2
宗教と僕 #2 一週間ほどして、彼らは全く変わらないことを口にした。この世が彼らの教えで満たされるのは間違いない。あなたは何を疑っているのか。入信すればそれが真実であることがわかる、云々。そうすると僕が返す。そんなに確実に、まるで夜が明けて朝が来るようにそんな世が来るのなら、何故入信にそんなに拘るのか、そこがあなた方の信仰の一番油断のならないところだ、云々。