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文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ⑤
北海道で翻訳学校と出版社を立ち上げる! そして53歳で思い立ち、逗子から北海道へ引っ越しました。大学を卒業してから一回も勤めたことのない僕は、そこでびっくりするような行動に出ました。 -
文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ④
翻訳家になったころ そんな僕にとって、翻訳業とは魅力的な職業だったのです。翻訳業といっても、僕がやるのは文芸翻訳だけでした。 僕はユニ・エージェンシーという翻訳事務所に登録し、翻訳家になりました。 -
文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ③
小説と剣道、そして翻訳家に 僕は昔から剣道をやっており、中学一年から昔風の野蛮な剣道に鍛えられてかなり強かったのです。 大学卒業の前年に、僕は剣道で身を立てようと考えました。 -
文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ②
年を取るということと、80歳を迎えるということは同義です。僕の場合、3年前に作家の丸山健二氏と揉めて―― -
文芸翻訳家の僕が80歳で小説家デビューするまで ①
逗子から北海道へ さて、皆さん、今日は。 僕の名前は山本光伸といいます。以後たびたびこのような場でお目にかかると思いますが、どうぞよろしく。僕は今年で80歳。52歳で神奈川県の逗子から北海道に居を移しました
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山本光伸作品集3『手紙』刊行のお知らせ!
山本光伸作品集3『手紙』刊行のお知らせ! さて、次はどんな本をご紹介しましょうか。長い作品、短い作品といろいろあるのですが、そうですね、今回は僕の唯一のミステリー作品を紹介しましょう。 -
『老人と海』について
『老人と海』について 今年に入って、E・ヘミングウェイの不朽の傑作、『老人と海』(柏艪舎より2013年10月刊・中山善之訳)を三度読む機会に恵まれた。本書が、ノーベル文学賞作家によるピュリツァー賞受賞作品ということはいうまでもないだろう。 -
自分の小説を手にして ③
自分の小説を手にして ③ 僕は柏艪舎の社員たちと相談し、思い切って電子書籍で発表することにしました。皆さん、どうぞ読んでみて下さい。すでに2冊が発表されており、紙の本でも読めるようになりました!『乾杯!』と『光る道』です。80歳からの人生がどうなるかはわかりません。スタートが遅すぎるのかもしれませんね。しかし僕は頑張るつもりです。人生最後の“賭け”に僕は今嬉しくてなりません。皆さんと共に、これを喜びに変えて行きたいと思っています。 -
自分の小説を手にして ②
自分の小説を手にして ② そうして一年ばかりが経ったとき、友人の父親に路上で掴まりました。どういうわけか、彼は僕の秘密のはずの“計画”を知っていたのです。そして、本気なのか、と僕に訊いたのです。僕も仕方なく、本気ですと答えました。すると彼は恐ろしく真面目な顔をして、わかった、受ける気なら受けてみろ、そしてもし君が受かったら、自分は逗子の町中を逆立ちして歩いてやる、とおっしゃったのです! -
自分の小説を手にして ①
自分の小説を手にして ① さて、皆さん、僕にとって最高の朗報が飛び込んできたのです! ご承知のように僕のオリジナル作品は現在、電子書籍で読んでいただいておりますが、この度、弊社社員たちの有難い協力で、 一応の本の形でお見せできることになったのです。 -
山本光伸作品集2『光る道』刊行のお知らせ!
山本光伸作品集2『光る道』刊行のお知らせ! 今回は、僕が書いた唯一の翻案小説、『光る道』をご紹介しましょう。これは原作がスティーブン・キングの短編で、原題は『The Reach』、邦題は『入り江』と言い、扶桑社の文庫本に僕の翻訳で収録されています。 -
三島由紀夫事件について ③ ——「三島はともあれ森田の精神を後世に向かって恢弘せよ」
三島由紀夫事件について③ 「三島はともあれ森田の精神を後世に向かって恢弘せよ」 それにしても、と僕は思いました、三島先生はなぜ死ななければならなかったのか、と。あの日、彼らの中には将来の展望は何一つありませんでした。そのように思います。「三島はともあれ森田の精神を後世に向かって恢弘せよ」という指示以外には何も見当たらない。 -
三島由紀夫事件について ② ——楯の会隊員たちと取り調べ室に
三島由紀夫事件について② ——楯の会隊員たちと取り調べ室に 三島事件の時、僕は東京の中野に住んでいて、Tは前夜から泊まりに来ており、翌朝早くに市ヶ谷へ出かけて行きました。そして昼前に、僕は女房の悲鳴で叩き起こされたのです。テレビを見ると、三島氏自殺!の文字が躍っています。 -
三島由紀夫事件について ① ——彼をうまく死なせてください
三島由紀夫事件について ① ——彼をうまく死なせてください 50年ほど前の三島事件の話をしましょう。 …その時に耳にしたのが、三島さんが“楯の会”なるものを作るという話でした。 僕はすぐに、その会に参加しようと考えました。 -
『乾杯!』の表紙を飾ってくれた小林龍一氏の作品
『乾杯!』の表紙を飾ってくれた小林龍一氏の作品 今回は、クリエイターの「小林龍一」について話をしてみたい。 僕は3週間前に、札幌市白石区にあるインタークロス・クリエイタィブ・センターへ出かけてみました。 その中で3人ほどの仕事振りが印象に残ったのですが、取り分け小林龍一の作品が目に止まりました。
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山本光伸の翻訳教室 ⑨
山本光伸の翻訳教室 ⑨ ☆訳者と読者 翻訳家は自分の訳した原文をどれほど覚えているものだろうか。個人差があって当然だが、私はほとんど覚えていない。 -
山本光伸の翻訳教室 ⑧
山本光伸の翻訳教室 ⑧ ☆距離 文芸翻訳にとって大切なものは、原文と訳文との距離感だろう。初心者であればあるほどほどこの距離感に無頓着で、テキストが何であれ、自分のリズムでしか訳せない。 -
山本光伸の翻訳教室 ⑦
山本光伸の翻訳教室 ⑦ ☆原作の香り 文芸翻訳家志望の方の中には、原作の香りを生かした翻訳をしたいと考える人が多いようだ。 -
山本光伸の翻訳教室 ⑥
山本光伸の翻訳教室 ⑥ ☆automatically 私は副詞の訳し方がいちばん難しく、だからこそいちばん面白いと思っている。 -
山本光伸の翻訳教室 ⑤
山本光伸の翻訳教室 ⑤ ☆文法について 乱暴な言い方かもしれないが、文法に拘る方で翻訳家として一本立ちした人を見たことがない。 -
山本光伸の翻訳教室 ④
山本光伸の翻訳教室 ④ ☆文芸翻訳家への近道 言うまでもなく、近道などあるわけがなく、より“確実な道”と言い換えるべきだろう。 それは、自分で小説を書いてみることである。 -
山本光伸 翻訳教室 ③
山本光伸 翻訳教室 ③ ではついでにもう一つ、スティーヴン・キングの秀逸な短編『ウェディング・ギグ』(The Wedding Gig)の中に、次のような一節があります。この短編は、妹思いの愛すべき小悪党スコレィの、大いに愉快で、ちょっぴり切ない物語です。 -
山本光伸 翻訳教室 ②
山本光伸 翻訳教室 ② ここには誤訳が一つと、僕が先ほど得意げに述べた、日本語と英語の表現方法の明確な違いがあります。この二つに僕が気付いたのは、丁寧に英文と日本文を読み比べたからではなく、あくまでも英文(つまり訳文)を読んでいて、おかしいなと思ったからなのです。僕がいつも言っている、オリジナルを書くように訳せ、の面目躍如と言ったところですね。 -
山本光伸 翻訳教室 ①
山本光伸 翻訳教室 ① 僕はこれまでに、柏艪舎から翻訳に関する本を2冊出しています。『誤訳も芸のうち』と『R・チャンドラーの「長いお別れ」をいかに楽しむか』です。一作目は、文藝翻訳は一生の仕事足りうるか、という副題が付き、二作目は、清水俊二、村上春樹、そして山本光伸の訳文を併記し、何所がどう良くて何所がどう悪いのかを列記しています。また翻訳と言う作業のコツみたいなものがわかってもらえるかもしれないとも書いてあります。 -
僕が翻訳家になるまで ②
僕が翻訳家になるまで ② さてその“翻訳”のほうですが、僕にはどうしても、翻訳家であることの“罪悪感”みたいなものが付いて離れないのです。どうしてそうなのか、理由ははっきりわかりませんが、僕にはやはり第二次大戦中の生まれであることや、十代の若さでアメリカ生活を一年送ったことなどが原因となっている気がしてなりません。
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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤ お金も同じです。そこに価値を置かないのだから、貸したお金は上げた者に他ならない。僕はこれまでに3000万近くのお金を貸していますが、こちらがどんなに困っても取り戻したいと思ったことは一度もありません。断っておきますが、だから僕は偉いとかそういう問題ではさらさらないのです。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ④
三島由紀夫の嘆きについて考える ④ 三島由紀夫が言ったように、このままでは「東洋の一角に、何の取り柄もない、ただ金儲けが上手な国家」の残ることになるのかも知れません。僕はもう本当にうんざりしています。物質は心の影に過ぎない。そんなことは自明の理ではないでしょうか。そんな影に過ぎないものに大切な人生を捧げて、悔いはないのでしょうか。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ③
三島由紀夫の嘆きについて考える ③ 例えば、三島由紀夫が「日本人はみなマーチャントになってしまった」と嘆けば、僕は絶対にマーチャントにはなるまいと思うし、丸山健二が「人はすべからく個と孤に生きるべし」と言えば、その通りに生きたいと思うのです。それもただ何となく思うのではなく、ひたすら実行しようとするのだから大変です。そのおかげで、家族や友人たちに多大の迷惑をかけてしまいましたが、それはまあ、仕方のないことだったように思います。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ②
三島由紀夫の嘆きについて考える ② 僕はいつも、他人のゴミ出しの様子を窺がっているような人間が嫌いだと言っていますが、この手の類いの、小さな正義感を振り回して悦に入っている人間はまず、小説を読んでいませんね。あなた方の周りにもいっぱいいるでしょう。立派なことを言いながら、妙に一つのことにこだわる精神バランスのおかしな連中が。もしこういう人達が世の中の大半を占めているとしたら? -
三島由紀夫の嘆きについて考える ①
三島由紀夫の嘆きについて考える ① 僕はいつでしたか、小説を読まない人間は信用できない、と言いましたが、その思いは今日もなおいささかも変わっておりません。ただしこれには例外があります。僕の友人で、町の寿司屋のご主人が居ます。僕と同年配で、よく二人で飲みに出かけたりします。そこで僕が思うのは、彼らは人生から読書以上の物を学んでいるということです。
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三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤
三島由紀夫の嘆きについて考える ⑤ お金も同じです。そこに価値を置かないのだから、貸したお金は上げた者に他ならない。僕はこれまでに3000万近くのお金を貸していますが、こちらがどんなに困っても取り戻したいと思ったことは一度もありません。断っておきますが、だから僕は偉いとかそういう問題ではさらさらないのです。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ④
三島由紀夫の嘆きについて考える ④ 三島由紀夫が言ったように、このままでは「東洋の一角に、何の取り柄もない、ただ金儲けが上手な国家」の残ることになるのかも知れません。僕はもう本当にうんざりしています。物質は心の影に過ぎない。そんなことは自明の理ではないでしょうか。そんな影に過ぎないものに大切な人生を捧げて、悔いはないのでしょうか。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ③
三島由紀夫の嘆きについて考える ③ 例えば、三島由紀夫が「日本人はみなマーチャントになってしまった」と嘆けば、僕は絶対にマーチャントにはなるまいと思うし、丸山健二が「人はすべからく個と孤に生きるべし」と言えば、その通りに生きたいと思うのです。それもただ何となく思うのではなく、ひたすら実行しようとするのだから大変です。そのおかげで、家族や友人たちに多大の迷惑をかけてしまいましたが、それはまあ、仕方のないことだったように思います。 -
三島由紀夫の嘆きについて考える ②
三島由紀夫の嘆きについて考える ② 僕はいつも、他人のゴミ出しの様子を窺がっているような人間が嫌いだと言っていますが、この手の類いの、小さな正義感を振り回して悦に入っている人間はまず、小説を読んでいませんね。あなた方の周りにもいっぱいいるでしょう。立派なことを言いながら、妙に一つのことにこだわる精神バランスのおかしな連中が。もしこういう人達が世の中の大半を占めているとしたら? -
三島由紀夫の嘆きについて考える ①
三島由紀夫の嘆きについて考える ① 僕はいつでしたか、小説を読まない人間は信用できない、と言いましたが、その思いは今日もなおいささかも変わっておりません。ただしこれには例外があります。僕の友人で、町の寿司屋のご主人が居ます。僕と同年配で、よく二人で飲みに出かけたりします。そこで僕が思うのは、彼らは人生から読書以上の物を学んでいるということです。 -
信じること、について
信じること、について 人間とはどうやら、信じることが好きな動物のようだ。信じてみたり、裏切られたといって怒ってみたり、何かと賑やかなことだ。信じるという行為も、所詮はジェスチャーゲームに過ぎないからそういうことになるのだろう。 -
父の死に際 ②
父の死に際 ② 僕は愕然としました。何が何だかよくわからないままに、僕はタクシーを呼んで逗子から東京まで駆け付けました。愕然とはしたものの、僕は比較的冷静だったようです。親父はもう十分に生きたんだ、という思いが強く迫って来たのです。第二次大戦を生き抜き、男の子3人を妻とともに育てながら、文句一つ言わずに、家族に尽くしてくれた。親父さん、有難う! 僕にはその他の言葉が思い付かず、一時間ばかりの間、タクシーの中でその言葉をずっと繰り返していたのです。 -
父の死に際 ①
父の死に際 ① 鈴木邦男氏が亡くなり、彼のことを考えているうちに、僕は父が死んだ日のことを思い出しました。父は67歳で亡くなりました。ちょうど哲平が生まれ、僕たちも自宅を逗子に移して2年ほどが経った頃で、僕の自律神経失調症が始まったのもその頃でした。 -
損得勘定のいろいろ
損得勘定のいろいろ 先回、士農工商について書いたところ、賛成の意見を多々いただいた。ありがたいことだが、誤解もあるようなので、はっきりさせておきたい。 -
士農工商の復活?
士農工商の復活? 私は今こそ、士農工商の復活をと考えている。何を馬鹿なと目を剥く向きもあるだろうが、まあ、お聞きいただきたい。